2017/07/22

この一冊 「鷲は舞い降りた」




2017年7月22日(土曜)

今日もよく晴れて、強い日差しにクマゼミの合唱。
盛夏。
一年で最も好きな季節ですが、今年もぱっとしない私。
それでも昨日で一区切り、次のステップへ一歩踏み出しました。


残しておきたい書籍類もほぼ片付けが済んで、ひとつ気持ちもスッキリ。

そんな手元に残った(文庫)本の、また読み直したいと思う一冊。

ジャック・ヒギンズさん、「鷲は舞い降りた」(ハヤカワ)

170722-鷲は舞い降りた_表紙_


これぞハードボイルド、エンターテインメントの傑作。
ご存じの人も多い作品かと思います。

昔むかし、学生も中盤を過ぎて、純文学からやっと離れつつ、だんだんあれこれつまみ食いで読み散らし始めた頃、開口健さんにエッセイか何かにサラリと名前だけ出てきたのがこの作品。
気になって直ぐに書店に行って買いました。
裏表紙にあるあらすじ「ヒトラーの密命を帯びて・・・」も、
「屋根付きの墓地門をくぐっていくと、墓地の一隅で誰かが墓穴を掘っていた。」と、雨の墓地の様子から始まる冒頭の導入部も、期待とは裏腹にピンとこず、関心を引き起さなかったのですが、本題に入ってから読み進めていくと、
ホントにわくわくドキドキ、頭の中に登場人物像がありありと沸き立って来て、その虚構の世界に夢中にさせられ、あっという間に読み終わってしまいました。
主役であるシュタイナ中佐は、ちょうど学部違いの学生の同期の友人の姿に重なったり、その後社会に出て読み返すと、ヒムラーが会社のとある人物と見えたりして、何度も読み返すたびに楽しめのでした。
ありきたりな言い方しかできませんが、組織や社会のどうしようもない状況、不条理、不遇の扱いの只中、それを甘んじて受けることを阻みながら消耗していくところに、突きつけらたチャンス。しかしそれが決して代償に見合うものでも、納得できる選択肢ではないとわかっても、限られた可能性、条件にかけて自分達を活かしていく。腹をくくった枯れた厭世感というか、何かそんな上手く言葉にできない感覚を底に、次々と出てくる現実の問題に、強い忍耐と冷静な判断で対処して任務を遂行していく姿に、それでいてどこか飄々とした感じるのが魅力です。
本当にカッコいい漢たちが濃厚につまった一冊と言えます。

ターニング・ポイントに来た今、また読み返してみたくなりました。


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2016/12/31

方丈記 (心の旅)


2016年12月31日(土曜)

今年もいつの間にか大晦日です。

皆さんご存知の、鴨長明のエッセイ、
名文句から始まり、和漢造詣を織り交ぜながら、「格調高い」文章で世の無常を綴る古典ですね。
全五章で構成されてますが、短い作品で比較的取りつきやすく、「和歌の語法、漢詩の対句手法を取り入れ整った文章」と言われるだけあって、慣れない古語もブツブツと朗読しながら読み進めると、どことなく沁みてきます。
日本語の響き、日本人の情感が心地よいです。
(まぁ、日本人も様々なので、、、)


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有名で馴染みのある冒頭の一節に、醸し出す無常に知らずしらず誘われてしまう作品ですが、何か哲学的というか、悟りや救いとなるような思想の結実はなく、長明本人も第五章で急に自分自身を振り返り、「わずかに周利槃特が行ひだに及ばず。・・・。その時、心更に答ふる事なし」と結んでます。
いわゆる悟りや心の安らぎなどは、そうそう簡単に得られるものではなく、一度何かの頂点やある一点に達したとしても、それも永遠に続くものでもないかもしれない。
この方丈記にある「魚は水にあかず。魚にあらざれば、その心を知らず」ではありませんが、釈迦や何かを極めた人のことは、凡々俗人の私には推し知るよしもありません。でもこの方丈記を初めてきちんと読んでみて、あの名句「時の流れは・・」から、「只かたわらに舌根をやとひて、不請阿弥陀仏、両三遍申してやみぬ」と筆をおいているところに、逆に何か、すごく平凡な感覚的な部分でしかありませんが、共感しました。
体が食べ物を自然に欲したように、心のどこかからか、ふときちんと読みたいと思い始め、徐々にその思いが強まってきたのですが、長明の履歴や方丈記を残した背景なども知り、ちょうどよいタイミングだったかもしれません。


さて、そして来年はどうなることか。。。

今年を振り返りもせず、来年に想いをせることなく、
方丈に毛の生えた程度の賃貸住宅で、ただ800年前に書かれた序段を暗唱するべく復唱。


皆さま、よいお歳をお過ごしください。

2016/11/12

「食卓の情景」 (文庫)本



2016年11月12日(土曜)

昨日は午後から暖かく、今朝も晴れて冷え込みも薄らぎよい天気です。

今週はやっと決着のついた米大統領選で世界は持ち切りでした。
いわゆる世の中で成功した支配階層やそれを維持するシステムや情報操作(メディア)に、怒りや反発が強くなってきていることということですね。
Brexitの時と同じく、遠い無関係な私でさえ、なんかどこかワクワクしているのも我ながら面白い。。。。なんだかんだ言っても、黙々と現状に対する不満を沸々と心に溜めている人がたくさんいるというこなんでしょう。余裕のある方々は周りや世の中に感心を向けて自分の肯定的、否定的な感情や信条を表せる一方、追い込まれ、自分のことで精一杯な人々は静かにひたひたと自らの気持ちを詰込んでいるのでしょうから。

気分がどうであれ、土曜日の午前中が唯一ホッとする貴重な時ですが、今朝も天候とは裏腹にうんざり感で淀んだ気持ちを引きずったまま。
落ち着かない職場に、親会社からも干渉が益々強く、何かにつけてイチャモン、余計なお世話なばかり。全体よくない状況で、どこも苛立ちや不満が強いのはわかるが、そのはけ口は弱い立場のところへ集まってくるもので、目も耳も口も塞いでうずくまるばかり。

そんな秋の夜長、就寝前に一冊「食卓の情景」(池波正太郎)

161112-bl食卓の情景x


池波正太郎さんの「食」にまつわる随筆が好きで、文庫で出ているものを続けて読んだのですが、その中でもこの作品集が印象深いです。
前住んでいた所の近くの居酒屋魚康さんに通っていたころ、ある日若い料理人が近く辞めると挨拶された。聴くと、別な店も経験してやがて独立したいという。落ち着いた真面目そうな若者だったので、何かの足しにでなればと思い手持ちのこの1冊を渡したのを思い出します。
最近になって大事なこの作品集がそのまま空になっているので、便利なネットで購入しました。
そのままバラしてスキャンしようと思ったのですが、またパラパラとめくって読み始めると病気になってから別な視点というか気持ちで読んでも、ついつい感じ入ってしまい、この頃は毎夜ベッドに横になって少しずつ読んで、気分をすこし軽くさせてもらってます。
池波さんの「食」の話は、俗っぽい言い方しかできませんが、作り手の動作、出すものに隠れた気持ちが、そこに出てくる食べ物の色や形、焼ける音や匂いと共に思い浮かべ、食べ手と共に、例えばどんどん焼きなどは、出来立ての香り、アツアツとした美味しさを感じながら、食べ物がこれほど深く人に関わり、人間模様や人生、人々そのものを映し出して、その味が心の中に沁みていきます。
だらだらと気分転換に書いてたら、お昼も近づいて来て、腹がよけい減ってきました。
だけどガマン。。。味気ない日々です。
2016/10/29

「峠」 残しておきたい(文庫)本

2016年10月29日(土曜)

平日、毎日が長く感じても早くも10月も終わりです。。。

昨夜はお仕事で来たKekoさんと焼鳥屋さんで一年ぶりに一杯。
重く沈んだ気持ちがふんわり浮揚、気の休まる愉しいひととき。
最近仕事の夢ばかりみてどんどん疲れに没していく負の渦巻きから離れ、穏やかな気分で眠れました。

今朝は、昨夜の雨も上がり晴れて清々しい秋空。
少し食べ過ぎと、鬱々とした気分が晴れた反動で、なんとなくぐずついたまま週末の大事な時間が過ぎて行く。こんな時間だけは、短くなった秋の日差しのように速く過ぎてしまいますね。。

引っ越して一年経ってもダンボールの荷物も積み上がったまま、、
片付ける気も起きず、気力もないままなので仕方なく、不安定な気持ちをそのまま置いているのと同じ。
それでも文書と書籍類の整理はスキャナで取り込んで減らしてます。

気分転換、知的欲求などから本をちょくちょく読んでいたのですが、すっかり本を読まなくなって久しい。。。
文庫本は高価でもないので、また読みたくなったら買えばいいと整理してきたのですが、それでも手元に残る作品が段ボール2箱。

司馬遼太郎さんの作品群がその一つ。
ドナルド・キーンさんも圧倒される巨大な知識と深い造詣で、多くの優れた作品を残し、国民的作家としても有名ですね。
どれか最も好きな作品をというと、皆さん悩むんではないでしょうか。私もあれもいいし、これも捨てがたいと思うのですが、必ず思い出す作品の一つが「峠」です。


161029-峠(上-表紙





薩長でもな幕府でもなく、歴史の流れを作り出した主流とは違う越後長岡藩、河井継之助に焦点をあてた作品ですね。作者自身の好奇心や人物へ思い入れを、史実をもとにして語る歴史小説。この主役の強い個性とあいまって、人物像が香り立つほどに蘇らせくれる絶好の作品かと。少なくとも私にとって単なる読み手として、河井継之助の生きた軌跡というかそのものに素直に感じ入ることのできる作品です。